憧れたアーティストはちまんコスモスクリニック

category : スタッフブログ 2017.4.7 

院長の山根です

偶然、テレビを見ていたら尾崎豊さんの息子さんが、尾崎さんの歌を歌っていました。

高校時代、規則の厳しい学校への反発を強めていた私は、尾崎さんに心酔していました。何度もCDを聞き、PVを繰り返し見る生活でした。尾崎さんの歌詞は何もかもが共感できるものばかりでした。さすがに、校舎の窓を叩き壊したり、盗んだバイクで走りだしたりはしませんでしたが…

それでも校長先生に規則を緩和するよう直談判しに行ったり、校則を破り何度も怒られたりしていました。時には、体育館で、先生に髪の毛を切られたこともありました。当時は中退することも頭をよぎり、実際に辞めて行った友人もいました。そんな中、「自分はこの閉ざされた枠組みの中で自分を試してみよう」と考え、中退せず、学校に残りました。

楽な毎日ではありませんでしたが、何とか卒業できました。卒業した時は嬉しさよりも、自分なりに「ここでやり遂げた」達成感がありました。

そして、尾崎さんは亡くなりました。私の勝手な想像ですが、10代の代弁者と言われていた尾崎さんも20代になり、名声、富を手にいれた自分自身と、10代の代弁者というレッテルのハザマで苦しんでいたように思います。実際に、晩年の歌には迷いが感じられました。

それでも尾崎さんは、今でも私の憧れです。そんな私もすっかり歳をとり、若者の代弁者にはなれる自信はありません。当時の若者と今では全く感性も違います。しかし、少しでも悩める人の代弁者になれるよう努力はしていくつもりです。

で、尾崎さんの息子さんですが、マスコミが尾崎さんに似せようとさせている気がして仕方ありません。息子さんは息子さんです。

尾崎さんの幻影を追わず、尾崎さんの息子さんではなく、一人のアーティストとして頑張ってほしいものです。